2008年11月14日

「エリナー・リグビー」モデル実在




ビートルズ名曲「エリナー・リグビー」モデル実在の証拠?
P・マッカートニーは否定



ビートルズのヒット曲「エリナー・リグビー」に
実在のモデルがいた証拠となる文書が27日、
ロンドンオークションに出品される。
一方、ビートルズの元メンバー、
ポール・マッカートニーは、
「エリナー・リグビーは私が考え出した架空の人物だ」と、
これを否定するコメントを発表している。
 
 出品者で英慈善団体「Sunbeams Music Trust」代表者の
アニー・モーソンさんによると、
1990年にマッカートニーに
子どもたちのための寄付を要請する手紙を送ったところ、
ビートルズの当時の事務所から寄付金の代わりに、
英リバプールの病院で
メイドとして働く「E・リグビー」の署名が入った
1911年の給与明細書が送られてきたという。

「エリナー・リグビー」は
身寄りのない老女を題材としたビートルズの曲。
1966年に発表したシングル曲
「イエロー・サブマリン」のB面に収録されている。
マッカートニーは以前、
「エリナー」は
1965年のビートルズ主演映画
『HELP!四人はアイドル』に
出演した女優エレノア・ブロンに、
「リグビー」はワインの名前にちなんで
名付けたと話していた。
だが、マッカートニーの故郷である
リバプールにある教会では1980年代に、
墓標に「Eleanor Rigby」と刻まれた墓が見つかっている。


11月14日


世界糖尿病デー

糖尿病の全世界的脅威を認知するための国際デー。

インスリンを発見したカナダのバンティング医師の誕生日

元々国際糖尿病連合と世界保健機関が
定めていた記念日であったが、
2006年12月20日、国連で
「糖尿病の全世界的脅威を認知する決議」が採択され、
あわせて世界糖尿病デーが国連の記念日として認定された。


パチンコの日

パチンコ業者の集まりである
全国遊技業協同組合連合会が1979年に制定。

1966年、全国遊技業協同組合連合会が発足した。

当時は、インベーダーゲームの進出で
ファン離れが起きたため、
人気挽回をねらって制定された。

「パチパチ」の語呂合せで
8月8日にするという案もあったが、
8月は2月とともに
「ニッパチ月」と呼ばれて
客の数が減る月であるため、
ボーナス期を控え客の増加が見込まれる11月を記念日とした。


ウーマンリブの日

1970年、東京・渋谷で女性解放運動を
高めるための日本初のウーマンリブの大会が開催された。


いい石の日

山梨県石材加工業協同組合が1999年に制定。

「いい(11)石(14)」の語呂合せと、
石工職人が尊ぶ聖徳太子の命日である
この日を「太子講」としていたことから。


埼玉県民の日

埼玉県が1971年に制定。

1871年、廃藩置県によって埼玉県が誕生した。

1871年に埼玉県と入間県が誕生し、
1873年に入間県は群馬県と合併して熊谷県となったが、
1876年に熊谷県の一部が埼玉県と合併して、
現在の県域となった。


大分県民の日

「大分県あすをつくる県民運動推進協議会総会」で決議。

1871年、廃藩置県によって大分県という名称が初めて使われた。


盛人の日

日本ベテランズ倶楽部が制定。

「い(1)い(1)とし(14)」の語呂合せ。

日本ベテランズ倶楽部

人生80年。60歳なんてまだまだ若造
『ベテラン』は、最後までリタイアしない
そんな志をもった数人が発起
日本ベテランズ倶楽部ができたそうです。

50歳過ぎたらもう人生の達人
自分の強みを活かして
、最後まで楽しく生き生きと
人生をまっとうすること
それが日本ベテランズ倶楽部の目的

平成2002年12月17日設立


亀井勝一郎忌

評論家・亀井勝一郎の1966年の忌日

亀井勝一郎(1907年2月6日 - 1966年11月14日)
文芸評論家。

北海道函館市元町生まれ
旧制函館中学校から旧制山形高等学校
1926年に東京帝国大学文学部美学科に入学
1927年には「新人会」会員となる
マルクス・レーニンに傾倒し、
翌1928年には退学
4月には治安維持法違反の疑いにより投獄
1930年保釈
1932年にはプロレタリア作家同盟に属す
翌年には解散
以後、1934年同人雑誌『現実』
1935年『日本浪曼派』を創刊
評論を発表する
1934年、最初の評論集『転形期の文学』を刊行

1937年『人間教育(ゲエテへの一つの試み)』を刊行
1938年、菊池寛より池谷賞を受ける
1937年に武者小路実篤と顔を合わせ
翌1938年、『日本浪漫派』廃刊後、
『文学界』の同人となり、以後同誌に連載し、
この頃、太宰治と親密になる
その後、仏教との出会いにより開眼
親鸞の教義を信仰
宗教論、美術論、人生論、文明論、文学論など
人間原理に根ざした著作を連載。

1942年、文学報国会評論部会幹事となる
1945年8月、第二国民兵として3日間軍事教練を受け
その3日目に敗戦の報を聞く。

1959年より『文學界』に
「日本人の精神史研究」を連載
ライフワークとなる
64年、日本芸術院賞受賞
65年、『日本人の精神史研究』等で菊池寛賞受賞
同年、芸術院会員に選ばれる。

戦中、武者小路実篤の人生論を解説つきで出したが、
戦後昭和30年代に再びこれを再刊してベストセラー
自身も、人生論、恋愛論の類をベストセラーにした。

1969年より、文藝評論の賞として
亀井勝一郎賞が設けられたが、14回で休止。

    フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
posted by kurarisu at 00:00| 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする