2008年11月23日

2世紀の青銅馬車




2世紀の青銅馬車、ブルガリアで出土 古代トラキア人の埋葬塚から


ブルガリア東部Karanovoの
古代トラキア人の埋葬塚で、
2世紀頃のものとみられる
青銅製の四輪馬車が出土した。
発掘をした考古学者チームが21日明らかにした。

 紀元前4000年から西暦300年にかけて
古代トラキア人が住んでいたとされる
ブルガリアの中部から南部には、
1万以上の埋葬塚が点在している。

 発掘チームのVeselin Ignatov氏は地元ラジオに、
出土した馬車の状態が非常に良いと述べ、
副葬品を死後の世界に持ち込めるとする
古代トラキア人の考えから、
裕福な男性の墓に副葬されたものではないかと語った。

古代トラキア人

トラキア人は古代の東ヨーロッパ周辺
住んでいた民族。
インド・ヨーロッパ語族に属するトラキア語を話した。
古代ギリシアやローマ帝国の文献に現れ、
当時のヨーロッパでは有数の人口と勢力を誇ったといわれる

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11月23日



勤労感謝の日

勤労をたっとび、生産を祝い、
国民互いに感謝しあう国民の祝日。

1948年公布・施行の「祝日法」で制定。

戦前の「新嘗祭」の日をそのまま
「勤労感謝の日」に改めた。



手袋の日

日本手袋工業組合が1981年に制定。

これから手袋が必要になる季節に向けて、
祝日の勤労感謝の日を記念日にした。



外食の日

日本フードサービス協会が1984年に制定。



Jリーグの日

日本プロサッカーリーグが1993年に制定。

1992年、
Jリーグ初の公式戦・ナビスコカップ決勝が
東京の国立競技場で行われた。

日本プロサッカーリーグ

財団法人日本サッカー協会が主催、
社団法人日本プロサッカーリーグが
主催・運営する日本のプロサッカーリーグ。
日本サッカーの活性化・実力向上と、
地域と一体となったスポーツ文化の振興を目的に掲げている。

2008年現在、日本国内の24都道府県に本拠地を置く、
33のプロサッカークラブが加盟している。

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いいふみの日

郵政省が制定。

「いい(11)ふみ(23)」の語呂合せ。


いい兄さんの日

「いい(11)にい(2)さん(3)」の語呂合せ。



いい夫妻の日

「いい(11)ふさい(23)」の語呂合せ。



いい家族の日

全国家族新聞交流会が制定。

「いい(11)ファ(2)ミ(3)リー」の語呂合せ。


ゲームの日

全日本アミューズメント施設営業者協会連合会
・日本アミューズメントマシン工業協会・
日本SC遊園協会が制定。

仕事や勉強の尊さをはっきり自覚しながら、
ゆとりある遊びとしてのゲームを楽しみ、
ゲームと生活との調和が感じられる日であるとして、
勤労感謝の日を記念日とした。



新嘗祭

1873年から1947年までの祭日。

天皇が新穀を天神地祇に勧め、
また、親しくこれを食する祭儀。

明治5年までは
旧暦11月の2回目の卯の日に行われていた。
明治6年から太陽暦が導入されたが、
そのままでは新嘗祭が翌年1月になることもあって
都合が悪いということで、
新暦11月の2回目の卯の日に行うこととし、
明治6年ではそれが11月23日だった。
翌明治7年には前年と同じ11月23日に行われ、
以降11月23日に固定して行われるようになった。



一葉忌

小説家・樋口一葉の1896年の忌日。

樋口一葉

日本の小説家
東京生れ

中島歌子に歌、古典を学び、
半井桃水に小説を学ぶ
生活に苦しみながら、
「たけくらべ」「十三夜」「にごりえ」
といった秀作を発表、
文壇から絶賛される。
わずか1年半でこれらの作品を送ったが、
25歳(数え年)で肺結核により死去。
『一葉日記』も高い評価を受けている。

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空也忌

踊念仏の開祖・空也が、
京を出て東国化導に赴いた日。

空也

平安時代中期の僧
天台宗空也派の祖
阿弥陀聖、市聖、市上人と称される
民間における浄土教の先駆者

踊念仏、六斎念仏の開祖とも仰がれるが、
空也自身がいわゆる踊念仏を修したという確証はない。

門弟は、高野聖など
中世以降に広まった民間浄土教行者
「念仏聖」の先駆となり、
鎌倉時代の一遍に、
多大な影響を与えた。

『空也誄』や、
慶滋保胤の『日本往生極楽記』に、
生存中から空也は皇室の出という説が噂されるが、
自らの出生を語ることはなかったとされ、
真偽は不明。

922年ごろ、尾張国の国分寺にて出家し、空也と名乗る。

若い頃から在俗の修行者として諸国を廻り、
南無阿弥陀仏の名号を唱えながら
道路・橋・寺などを造り、
社会事業を行い、
貴賤を問わず幅広い帰依者を得る。

938年、京都で念仏を勧める。

948年、比叡山で天台座主・延昌のもとに受戒し、
「光勝」の号を受ける。

950年より金字大般若経書写を行う。

951年、十一面観音像ほか諸像を造立

963年、鴨川の岸にて大々的に供養会を修する。
これらを通して藤原実頼ら貴族との関係も深める。
東山西光寺において、
70歳にて示寂。

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posted by kurarisu at 13:51| 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする