ムンバイ同時襲撃事件、情報提供にネットが大活躍
インド・ムンバイで起きた同時襲撃事件では、
ブロガーや市民ジャーナリスト、
マイクロブログサービス「ツイッター」のユーザーらが、
一部誤報はあるものの事件の様子を詳細に伝え、
人びとの注目を集めた。
襲撃現場近くから独自に「報道」
米ボストン在住のインド系米国人
Arun Shanbhagさんは、
武装集団がムンバイの
高級ホテルや名所を襲撃したとき、
市内に住む両親を訪ねていた。
27日朝から、
Shanbhagさんは自身のブログやツイッターで
刻々と変化する情勢を伝え、
写真共有サイト「フリッカー」に
写真を掲載し続けた。
Shanbhagさんが
ツイッターで送信した最初のメッセージは、
「ムンバイで爆発。
タージマハル・ホテルは
わが家からわずか1ブロックだ!
人質は現在も中にいる。
まだ燃えている。
煙が窓から吹きだしている。
写真は後ほど掲載」というもの。
その後、引き止める両親を振り切って外に出ると、
炎上するホテルや、カフェ・レオポルドの惨状を撮影し、
フリッカーに掲載した。
ツイッターでリアルタイム情報交換
ツイッターでは数秒ごとに
数千件のメッセージが交わされ、
現地の混乱ぶりや情勢の不透明さを浮き彫りにした。
事件の状況に関する情報交換が
リアルタイムで行われたほか、
家族や友人の安否を確認したり、
最新ニュースを掲載しているサイトの
リンク先を教えあうユーザーも。
あまりに猛烈な情報交換の勢いに、
「人質を取って立てこもる武装グループが
情報を利用する可能性を恐れたインド当局が、
ツイッターへの投稿をやめさせようとした」
という報道さえある。
動画、名簿、追悼 ― 即応したネット社会
動画共有サイト「ユーチューブ」にも
数十件の投稿があった。
ただ、大半は現場を目撃した
ユーザー独自の映像ではなく、
事件を伝えるテレビ番組を録画したもの。
一方、NowPublicやGroundReportなどの
市民メディアでは、
事件発生から数時間以内に
市民ジャーナリストによる
映像、写真、独自に取材した情報が次々と掲載された。
グーグルマップでは、
あるユーザーが襲撃現場を
正確に特定したマイマップを公開、
4万回以上も閲覧されている。
Mumbaihelp.blogspot.comは、
解放された人質の名簿や
電話相談サービスの電話番号を提供。
友人や家族と連絡を取りたい人びとため、
掲示板サービスも提供している。
フェースブックなどの
ソーシャルネットワーキングサービスでは、
事件の犠牲者に哀悼を示すグループが作成されている。
「11月26-27日のムンバイ大虐殺で死亡した全員を追悼して」
というグループには、
すでに2万2000人が参加している。
オンライン百科事典サイト、
ウィキペディアの英語版では、
最初の銃撃から48時間後には、
襲撃事件について詳細な書き込みがあり、
現在もさらに詳しい書き込みが続いている。
11月30日
カメラの日
1977年、小西六写真工業(コニカ)が
世界初の自動焦点(オートフォーカス)カメラ
「コニカC35AF」を発売した。
「ジャスピンコニカ」という愛称で呼ばれ、
誰でもピンぼけせずに撮れるということで、
それまでカメラに縁のなかった
女性や中高年層の市場を開拓した。
鏡の日
「いい(11)ミラー(30)」の語呂合せ。
鏡を大切にすることで、
健康で美しい生活を目指す日。
シルバーラブの日
1948年、歌人の川田順が
弟子の大学教授夫人とともに家出。
当時、川田順は68歳で、
3年前から続いていた教授夫人との
恋の行く末を悲観して、
死を覚悟しての行動だったが、
養子に連れ戻された。
その後2人は結婚した。
川田が詠んだ
墓場に近き老いらくの恋は恐るる何もなしから
「老いらくの恋」が流行語になった。





